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2012/10/06(SAT)
J.LEAGUE DIVISION 1 第28節
ユアテックスタジアム仙台
ベガルタ仙台 2 - 1 ガンバ大阪


宮城・仙台には、ある意味で初の訪問。
ベガルタ仙台戦と、3.11地震の傷跡を目に焼き付けての、3日間。

東京駅
東京駅9:00発、やまびこ129号で仙台へ。

8:30頃にプラットフォームへ上がった時には、8:40発のやまびこ53号への長い行列。
車内に入っても座席は全部埋まっていたため、次の列車に。連休初日ですから、まぁ混雑は必然でしょうけど。

金券ショップでバラの指定席回数券を購入するも、指定席に空席は無く、自由席へ。大宮からは完全に満席。
最後尾の自由席ですので、福島駅でのつばさ号分割を外で見ることはできませんでしたけど。
そして、定刻11:03に終点・仙台駅着。

仙台
仙台駅。

1999年3月末に青春18きっぷで函館・青森から東北本線で南下した際、乗換で利用したことはありまして。
ホームの移動だけで、改札の外には出なかった気が。

青葉城恋唄の発車音楽は耳に焼き付けた記憶も。今ではYouTubeで簡単に聴ける便利な時代になりまして。

子供の頃には、家族旅行で東北1周をしていましたけど、宮城は寄らなかったですね。

少しばかり時間がありましたので、バスで仙台城址へ行ってみることに。
11:25発の循環バスで山道をウネウネと登り、城址入口に。駅からは意外と距離があるのね…。
次のバスまでの30分間で、メイン部分だけを駆け足で見物。

仙台
仙台
12時、伊達政宗像の下で、「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」のおもてなし。
イケメン揃いですね。カッコイイですなー。

今日は曇り空で、夜には雨も。
晴れた日や、別の季節で仙台戦があれば、また来てみましょうか。J1に残れるかは未確定ですけど。

そしてまたバス停へ。付近の東北大学キャンパスからの学生の乗車で満載の中、山を降りて仙台駅へ。
早川さんと合流、仙台駅の観光総合案内所で 「杜の都仙台公式ジョジョGUIDEMAP」をGETしたり。
「ジョジョの奇妙な冒険」はまだ第2部終盤あたりまでしか履修できてないので、
どこかのタイミングで一気読みしませんと…。

昼食は牛タン焼専門店「司」で定食を。有名店らしく、ガンバ大阪サポーターもチラホラと。
厚切りな牛タンが柔らかくて美味で。テールスープもまた柔らかジューシーなお肉で。ごちそうさまでした。
まずはひとつ、宮城名物を堪能。

仙台
アニメイト仙台店へ。
各所で話題のとおり、店内は階下の鮮魚店の魚のにおいで満たされて。

JR仙石線には、石ノ森章太郎作品がラッピングされた電車が以前から走っているのですね。
仙石線の一部は3.11の地震で不通となり、下車した小鶴新田駅あたりは液状化現象があったとのこと。

地名から色々と伺えはしますけれども、自分の故郷のほうにも神野新田があったりしますし、
東海地震が発生した際には、ここ数十年で立てられた建物がどうなるのか。

駅横の新田小学校はプレハブでしたが、これは地震とは関係無い(以前からの)校舎新築工事によるもので。

仙台
さて、ユアテックスタジアム仙台。

売店でも、牛タンメニューが色々あって。牛タンつくね串と牛タンちまきをチョイス。こちらもなかなか。

仙台
スタジアムから少し離れたロードサイド店のすき家の看板が、スタジアム内のチームカラーの各横断幕の中に溶け込んた感じで。
座った位置が、うまい具合にそういう配置になったといいましょうか。

仙台
仙台
パスは周るもゴールは遠く、次第に仙台に攻め込まれて梁から(両)サイドへ渡されて。
菅井の2次攻撃や太田のシュートが脅威になるも、枠から外れたり藤ヶ谷が防いで。

仙台
仙台
後半、岩下負傷でバックラインが変わり、遂に失点。
1-2にまで差を詰めてからの攻めも、ゴールは割れず。17位。

仙台

2012/10/07(SUN)
本日は、早川さんとともに、3.11地震の被災地域訪問。
まず、三陸自動車道を北上。桃生津山ICでしたか、そこから下道で、しばらくしたらJR気仙沼線を並走。

道中の空き家(?)には、「死後裁きにあう」でおなじみな聖書配布協力会のホーロー看板がそこかしこに。
聖書配布協力会は宮城県伊具郡が本拠ということで、お膝元というか。

三陸
三陸
陸前横山駅から気仙沼駅までは、地震と津波で不通に。現在は代行バスが運行中。

しばらくして、南三陸町・志津川漁港に到着。手を掌わせての黙祷を。

三陸
三陸
三陸
三陸
三陸
三陸
三陸
三陸
三陸
ここは、15m前後の津波が押し寄せた場所。何も言葉が出ないです。
空は青く、海の水もしょっぱく、海鳥は飛び、魚も泳ぎはしていても、生を感じづらいというか。
1年半が経過して、瓦礫の大部分は人々の手により片付けられてはいますが、そこから先の景色は見えづらく。

そこから少し先の、防災対策庁舎へ。

三陸
三陸
三陸
地震には耐えたものの、津波により建物の殆どが水の中に沈んで。その時の報道映像には驚愕させられて。

避難先となった高台は、車社会の地ではすぐ先という印象で。
単純には、そちらに建てられていたらと考えてしまいますが、土地の確保など色々難しいのでしょうか。
あまり、現地の「政治」やらに介入したくはありませんけれども。

福島
仮設店舗でコンビニエンスストアは営業していたり、ガソリンスタンドもありますし、
三陸自動車道からのアクセスや物流に問題はない印象。

しかしながら、漁港や周辺の復興は遠い印象も。
堤防工事は平成26年3月までとの看板がありましたので、その完成までは代替地からの出港だったりなのでしょうか。

三陸
三陸
少し内陸へ走ると、「南三陸さんさん商店街」。
地元住民向けの商店はもちろん、道の駅のような1つのショッピングモールとして整備されて、賑わっておりました。

志津川はタコ漁が盛んとのことで、タコをモチーフとしたピンバッチなどが復興支援グッズとして販売されて。
各種の食料品店舗などで、色々と名産品などを購入。ほか、屋台で色々と買い食いしたり。

三陸
さて。南三陸町をあとに、本吉街道を内陸へ。
登米ICから、黄金色の稲穂や北上川を見やりながら、三陸自動車道を南下。
途中、道の駅(上品の郷)に。ずんだ餅を買い食い。餡の隅々まで、しっかりと濃厚な枝豆の味で。

東北ずん子 Official Website

南下して、石巻青果花き地方卸売市場。ここでは本日、「トラックの日フェア」の開催。
トラック協会主催で、全国色々なところでこの時期に開催されているのですね。

ここで、ご当地グルメの「石巻焼きそば」を。
2度蒸しした茶色い麺は珍しいというか、こういうものがあるのですね。
近年のブームで作られたものではなく、半世紀以上もの歴史ある焼きそばとのこと。

だし汁の味付けで、その上でソースを掛けたりと色々な味を楽しめて。
本来は目玉焼きがトッピングされるそうですが、ここでの屋台では錦糸卵。
目玉焼きが載ったマスコットキャラクター「ちゃちゃ丸」もいるとのこと。

三陸自動車道を南下して、松島へ…ですが、連休の影響か大渋滞で。
松島はまた来た時のために残しておきましょうということで、三陸自動車道・仙台東部道路で亘理市へ。

途中、左手には遠目に仙台空港。丁度、エバー航空が駐機中。
来年、ベガルタ仙台がACLに出場したら、各国へのチャーター便が飛ぶのでしょうかね。

亘理市の沿岸も、3.11地震後の津波で被害を受けて。
しかしながら、仙台東部道路の盛土がそれをせき止めて。

道路の西側は何もなかったかのように、今は黄金色の稲穂が垂れて刈り入れる時季。
しかし、津波を受けた東側は、今は作物のない田畑に塩分除去中のノボリが立って。
そして、住宅や学校の1階部分は津波を受けて再建中だったり、場所によっては全壊していたり。
明暗を分けた盛土の高速道路の力を目の当たりにしまして。

亘理
海沿いには、名物「はらこめし」を販売するお店があるとのことで、購入。
その後の電車中で食しましたが、イクラも鮭も美味で。これはなかなか。
福島駅の駅ビルの惣菜屋でも購入してまた電車中で食べましたし。

亘理
そのまま、JR岩沼駅へ。ここで早川さんとはお別れ。お疲れ様でした。また来年、まずはJ1残留で。
時刻は16:15過ぎ。16:20発の快速福島行きに乗車。

岩沼
これで福島まで行って、あとはフラフラ…でしたが、槻木駅発の阿武隈急行線・福島駅行きが16:43発と、
ほどよい待ち時間であったため、こちらに乗り換えることに。
3連休のあと1日はどうにでもなりますし、このまま帰京する気は無いので、バッファ的な乗換で。

槻木
槻木駅。

槻木
槻木
途中、阿武隈川を並走。

あとは、亘理の海辺で購入したはらこめしを食べつつ、終点福島駅までマターリと。
17:58、福島駅に到着。

福島
福島
駅の窓口には、放射線量の測定結果。特に問題ない線量ですけども。

さて。
ここからどうしようかな~と考えながら、JR福島駅のみどりの窓口で時刻表を眺めたり。
18:45発のいわき駅行き高速バスがあるなーと見やりつつ、それにしようかとマターリしてたら、
マターリし過ぎて発車時刻が過ぎていて。郡山駅から高速バスでいわき駅に行こうかと、方針転換。

福島
19:20発の普通列車で、郡山へ。

駅ビルの惣菜屋「若菜」で、はらこめしを購入して、車中で夕食。本日2度目のはらこめし。

列車は途中、松川駅に停車。

1999年3月末に東北本線を南下した際、この駅舎で寝袋に包まって夜を明かしたことがありまして。
(手前の)福島駅ならば自由通路みたいなフリースペースがあるだろうと考えていたら、この終点駅まで乗り過ごして。
結果的に、この無人駅舎内で外気と外敵(?)を気にすることなく夜を明かすことができまして。

あの時は、新潟駅では自由通路でホームレス的に寝袋で夜を明かし、函館駅ではベンチで仮眠して未明に駅前を
フラフラしてたらサウナがあり、当時としては大金の約2,500円(数百円おまけしてもらいまして)を払って
数日ぶりの汗を流して再度仮眠して、そしてここ松川駅でまた寝袋と、そんな東日本+函館の周遊の18きっぷの
旅の記憶を掘り起こしたり。

駅の脇の跨線橋が懐かしく、その脇のセブンイレブンも改装した感じでしたが懐かしくと、車中から眺めて。
駅前は、なにやらお祭りが催されていた様子で提灯なのか竿燈が輝いていたりも。

20:08、列車は郡山駅に到着。
いわき駅行きの高速バスは20:50発。

駅脇のヨドバシカメラへ、スマートフォン用のモバイルバッテリーを購入。
Galaxy Sのバッテリーがヤヴァい感じでしたし、今まで持ってなかったので、折角だから買っておこう、と。
ソニーの「CycleEnergy」(CP-ELSVP-B)、2000mAのものを1,800円程度で購入。

とはいえ、いわきの宿泊先はスマホでの値段確認や予約はせず飛び込みでしたので、
スマホの電池が切れていても問題なかった感じで。

さて、バスは定刻20:50に出発。郡山東ICから磐越自動車道を南東に、いわき駅へ。
今日一日を振り返りつつ、22:15頃にバスはいわき駅前に到着。

そして、今日最後のタスク。宿泊先確保。
JRの線路に沿ってビジネスホテルが色々と存在するので、駅近くのホテルから順に覗いてみる。
禁煙・シングルの部屋は満室との回答。喫煙部屋はノーですので、ホテルを出ては繰り返し。

数件目の「α-1」というビジホで禁煙・シングルルームを確保。
部屋には乗馬フィットネス機器があり、ジョーバに乗りながら凱旋門賞のオルフェーブル2着を見たり、
向かいのコンビニで購入した酒との相乗で酔いを回したり。

ホテルの入口には黒人男性が10人近くたむろして騒いでましたが、この辺りの工場の従業員でしょうか。

そんな感じで、長い1日が終了。

2012/10/08(MON)_1
起床して朝食を摂り、時刻表を眺めながらぼーっと過ごし、9時前にチェックアウト。

いわき
JRいわき駅は改築されてコンパクトになったというか。
駅ビル内のショッピングモールの機能が、向かいの複合ビル「LATOV」に移動した感じ。

さて、まずは9:30発の久ノ浜駅行きの常磐線で北上することに。

いわき
常磐線の仙台方面の案内は、「広野方面」に貼り直されて。

09:30、高校生達や沿線住人らしき乗客を載せて、列車はいわき駅を出発。

久之浜
久之浜
09:45、終点・久ノ浜駅に到着。次の広野行き列車は11:15発。
それまでの90分弱、駅から少し歩いた海岸へ。

久之浜
久之浜
久之浜も、7m強の津波などで被害を受けた地区。

久之浜
久之浜
堤防は、地震なのかその後の津波なのか、いずれにしても崩れた姿を晒しており。

久之浜
殿上崎。

ググったり調べてみると、今回の3.11の地震・津波で崩落だとか岩肌が露出した訳ではない様子。
それでも、現在までの数多の地震・津波や風雨などの自然の力でこの姿になったのでしょうけれども。

殿上崎の向こう側には漁港があるそうですが、時間の都合上そこまでは行けず。
蔭磯橋を渡った少し先から崎を少し間近に見て、引き返しました。

蔭磯橋の繋ぎ目辺りも、津波後は大きく崩れていたそうですが、現在は渡るに問題なく復旧されています。

久之浜
久之浜
秋義神社。
鳥居は津波により倒れていたそうですが、現在は復旧されております。

平地に住宅(跡)が広がる中、この神社は1.5m程の石垣も組まれた土台の上に建立されて。
元々なのか意図したものかは定かではありませんが、先人の知恵とも感じたり。
しかしながら、7m強の津波到来は神社建立以降では初めてのことだったのでしょうか。

久之浜
久之浜
津波後には一面を覆った瓦礫は、現在は撤去されてはおります。
しかし、この地区は漁港からは少し離れた住宅街ということなのか、訪問する人は到着時には見掛けましたが、
以降は自分含めた数名と、住宅跡で作業する住民の方のみ。
強い浜風と崩れた岸壁に強く打ち寄せる波が、南三陸とは違う物悲しさを醸し出している感じがします。

久之浜
一礼して、久ノ浜駅へ戻ります。
駅周辺を少し歩きつつ、改札を越えてしばらくしたら11:15発・広野行き普通電車の到着。

2012/10/08(MON)_2
久ノ浜駅11:15発の列車は、終点・広野駅へ向けて進行。

いわき
決壊したと思われる堤防の痕が、ところどころに存在して。

広野
11:24、広野駅に到着。

広野
8年ぶりの広野駅です。

2004年8月、Jビレッジで開催された日本クラブユースサッカー(U-18)大会の、ガンバ大阪ユースの試合を観に、
青春18きっぷを使って常磐線各駅停車でここまで来たことがありまして。

あの時は駅に降り立ったら、1台しか停まっていなかったタクシーが先客を乗せて走り出し、自分はJビレッジまでの4kmを徒歩。
アビスパ福岡ユースとの試合は強風の中、足元や空中のパスはボールが風に流されて不自由して。
結局、3-4だったかの撃ち合いで敗れてという結果。当時のユースは安田理大などが所属していましたね。

その試合の帰りも徒歩で広野駅まで。その際、駅近くのショッピングプラザに入店してフードコートへ。
牛舎が周りにあったのか、店内でもその堆肥のにおいを嗅ぎながら、カレーライスを摂ったりもして。

広野
その、ショッピングプラザ「アイアイ」。

広野
現在は、原発・放射性物質関連の事業会社の事務所・駐車場施設になっている様子。

広野
東京電力広野火力発電所の煙突を。

隣接のJビレッジは、津波による福島第一原子力発電所事故対応の前線基地となり、現在は中継拠点に。
福島第一原発は、そこから更に約20km先。

Jビレッジの放射線量は問題のない低い数値ですし、対応完了後の「試合再開」を願います。

それぞれの施設で作業奮闘する人々への思いを馳せ、広野駅へ引き返します。

先程終着した列車の折り返しは11:38。
約14分のインターバルで、駅から約500m離れた(旧)アイアイの間をダッシュでした。
発車4分程前に、広野駅に帰着。

次の約1時間後の列車まで周辺を歩こうかと考えもしましたが、今回は久之浜を先に歩いたこともあり、引き返して。
タクシーや、いわき駅からレンタカーをなど、当初は色々と考えてもいましたが。
警戒区域のゲートまで行って引き返したところで、現状では物見遊山と捉えられて訝しがられるだけでしょうし。
今は現場のプロに託して、やや収束したその時には、その先まで訪問していきたいとは思っております。

広野
広野駅1番線と2番線の間には、仮設ホームが設置されています。2・3番線への跨線橋は立入禁止。
この駅での折り返しの簡略化なのか、跨線橋やプラットホームが地震で被害を受けたりしたのでしょうか。

広野
ここから先、広野-原ノ町間は警戒区域の運休区間。

北側の亘理-相馬間は、一部を内陸側に引き直すことで2017年に復旧予定とのニュースも最近流れて。
常磐線が再び全線つながることを願います。

広野-仙台間は未乗車区間ですし、次にJビレッジへ向かう際には北側から下って常磐線全線を制覇と考えていましたので、
全線復旧した暁には是非とも乗車しますよ。

列車は再び、いわき駅へ。

広野
途中には、消波ブロックが積まれた資材置場のような箇所も。
久之浜の海岸などはこれから復旧へということなのでしょうか。

そして、12:03にいわき駅に帰着。

さて、あとは帰宅という算段に。
13:20発のスーパーひたち38号で帰りましょうということで、それまでの時間を昼食など。

いわき駅のちょいとした商業施設に半田屋がありましたので、そこでがっつりと昼食。
もしかしたら半田屋に入るのは初めてだったかも。

いわき
あとは、駅向かいの商業ビル「LATOV」へ。
旧いわき駅舎内にあった店舗などは、こちらに移った感じなのでしょうか。
海産物など、いわき名物を色々と買ったりしながら周辺をふらふら。

LATOVの裏手にはアニメイトいわき店がありましたよ。ちょろっと入りましたが、買うものはなく。
前日夜、郡山駅脇のビルにもアニメイトがあるのを見掛けたりと、予備情報なしに何気に発見してしまうというか。

さて、スーパーひたち38号の発車が近づきましたので、再度いわき駅へ入場。

スーパーひたち
新型のE657系。内装はシックな色調で落ち着く感じ。

スーパーひたち38号は、定刻13:20に発車。
途中、進行方向左手に勿来海岸を見やりながら南下して茨城県へ。

勿来海岸は津波被害が少なかったそうで、この夏に海開きがされたとのこと。その他は、津波などの被害によりオープンできないまま。

太平洋側を見つめながら、線路は次第に内陸側へ。
3.11の地震・津波のあった地区を訪問した旅を振り返りながら、列車は定刻15:35に上野駅に終着。


あれから1年半が経ち、瓦礫の山は撤去されたものの、そこから先の景色は見え辛い感じがしますね。
新聞記事には、作業人員の不足だけでなく土地の境界問題などもその一端ということが書かれていましたが。

当時に都内職場ビルで大きな揺れと一部徒歩帰宅だけを経験した自分は、今までもあえて使いはしませんでしたが、3.11の事象に「震災」という言葉を軽々しく使うことは出来ませんね。

今回、色々と巡りはしても、一介の訪問者という意識は強く。

なかなか考えはまとまりませんが、復興を願いながら、今回の旅は一旦終了とさせていただきます。

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