韓国旅行
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2007/08/28(TUE)_1-1
ソウル2日目。
今日は、南北朝鮮の共同警備区域(JSA)・板門店ツアーです。これが、今回の韓国旅行をするきっかけの大半。
こちらも事前に日本で予約。費用は約8,000円。

ソウル
ソフィテルアンバサダーホテル
集合場所は、ソフィテルアンバサダーホテル。
宿泊先のニューオリエンタルホテルから歩いて、現地に到着。早めに着いたので、周辺をぶらぶら。とはいえ暑いのでホテルに戻る。

バス
そしてバスは出発。本日はバス2台が満席で結構盛況です。
うち1台は、九州の中学生が修学旅行とのこと。

バス
車中では見学にあたっての注意事項などを聞きながら進む。
約1時間後、バリケードが厳重に張られた漢江下流を平行して進み、板門店近くの統一大橋に停車。ここで検問。

検閲は、アメリカ陸軍兵が乗車して1回目の身分確認。なお、このツアーではパスポートは必須です。無いと参加できません。そして、ここから先は指定された場所以外での写真撮影が禁止となります。まぁコンパクトデジカメをさっと出して撮影できましたが。

ちなみに、日本で予約した際の注意事項ではジーンズや襟無しのシャツ、サンダル履きは厳禁とありましたが、最近は規則が緩いのかそういう格好で来る客が多くて黙認しているのか、その格好でも問題無しの様子。最近流行の、派手な色のクロックスを履いていた人も問題無しでしたので。自分は、何年ぶりかでチノパンを着用してきたのですが、無駄になった感じ。

統一大橋の検問から10分程、JSA入口・国連軍管轄の「キャンプ・ボニファス」へ。
2回目の身分確認後、降車してブリーフィングルームへ。

板門店
板門店
ここでまず、「何かあって死んでも責任は取らんよ」的な内容の誓約書にサインをします。全部日本語。
そして、貸し出されたゲストバッチを胸に付ける。

その後、朝鮮戦争とJSA策定から現在までの移り変わりをスライドでお勉強。約20分。
そして、敷地内専用の国連のバスに乗り換えて軍事境界線のある会議場方面へ。周りは地雷原とかなので、鬱蒼とした森が続きます。

板門店
「自由の家」に到着。ここは境界線手前にある、軍事ではない会談用の建物。
まずは、自由の家の脇にある高さ10mぐらいの監視台から、北朝鮮側を臨む。ここで写真撮影許可。

板門店
写真奥の建物が、北朝鮮側の会議控え室な建物「板門閣」。

板門店
北朝鮮側。

板門店
北朝鮮側の監視小屋。

監視台を降り、いよいよ会議場へ…。なのですが、北側からも我々と同じような見学ツアー客が結構いることと、会議場内での邂逅を防ぐため、軍事停戦委員会本会議場へは入れませんでした。

メインディッシュを食べられない感じでちょいと残念。本会議場内で、停戦ラインを越えて合法的に北朝鮮へ入れるとのことでしたが。

話によると、ここでは雨が降っても韓国側のツアー客は傘を差すことはできず、一方で北朝鮮側のツアー客はそういった制約が無いなど、最近の韓国の政権のみならず、板門店でも南は北にかなり譲歩している感じ。

板門店
板門店
韓国側の「自由の家」、軍事境界線(軍事停戦委員会本会議場)、北朝鮮側の「板門閣」の並び。

板門店
板門店
会議場に入れないため、自由の家と本会議場間の道路手前から見物と撮影が許可。

脳内BGMは、「日高義樹のワシントンリポート」が延々と。
なにか緊迫する状況は生まれるかなーと思ってましたが、特に何も無く。

板門店
板門店
板門店
北朝鮮兵はラインぎりぎりで向かい合い警備。韓国兵は建物から半身を出して警備。迷彩服は国連の兵士。
壁|∀・)ジーッ

真ん中、高さ10cmぐらいのコンクリートラインが、南北を分ける休戦ライン。

板門店
板門店
板門閣のテラスで見学する人たち。金髪の白人ばかりです。
手を振っているようなジェスチャーの人がいますが、これに応えるような仕草をすると、こちらはアウト。

その後、中国人っぽい見学者が板門閣から出て、こちらを見ている。

10分程度の境界線手前での撮影許可の時間を終えて、次はバスでの施設見学となります。

板門店
板門店
板門店
休戦記念碑。ここから北朝鮮を眺めます。集落は、実質人の住んでいない「宣伝村」とのこと。
その後ろには、韓国・現代財閥支援の開城工業団地。右に写る国旗掲揚台は世界一の高さ(160m)だそうです。
あちら側は燃料集めに必死なので、山も刈られて山肌が露出してますね。

板門店
バスの中から、1976年に起きた「ポプラ事件」の記念碑。

板門店
こちらも、バスの中から、朝鮮戦争時に捕虜交換を行った「帰らざる橋」を。

これでキャンプ・ボニファスへ戻ります。はじめの観光バスに乗り換える前に、「お土産屋がありますので~。」

ピンズやキーホルダーに関連書籍、お茶葉や置物など色々売ってます。「なんだよ~普通の観光地じゃん」と思いつつも、翌日は市内を歩き回る予定なので、荷物になるお土産は先に買っちゃえということで、とうもろこし茶だとかを色々と買っておきました。

板門店は、観光業以外の一般韓国人や共産圏の国民は簡単には来られないとの事で、今は西側の観光地な印象です。
最初に書いた誓約書も、「記念に」ということで返却されましたし。

ツアー料金やギフトショップの売り上げの一部は韓国退役軍人の年金等に充てられるとのことで、今後なにか「事変」が起こるまではツアー客を受け入れる観光地として続いていくのではないでしょうか。

まぁ自分は、統一前にここに来ることが出来て話のネタも出来て、あとはいつ米中戦争の最前線になるのか、統一したらここはどうなるのか興味深いところですかな、という感じです。在日朝鮮人でもなければ朝鮮半島に離散家族や親戚縁者がいるわけでもありませんし、完全に第3者視点で見た板門店の印象ですね。

2007/08/28(TUE)_1-2
12時過ぎ。
板門店を後にしたら、バスは次の目的地である「臨津閣」へ。

臨津閣
臨津閣
韓国人も普通に来られる、北に最も近い公園施設という場所でしょうか。

自由の橋
臨津江に掛かる「自由の橋」。戦争捕虜が帰還した際に「自由万歳」と叫んだからこの名が付いたとのこと。
その橋の両脇には、両国の警備兵を模したオブジェが。更にその脇では売店小屋があり、歌謡曲の「イムジン河」が流れていたり。
立派な「観光地」ですな。

自由の橋
橋自体は、臨津江には届かず行き止まり。そのバリケードには寄せ書きなど。統一を願う言葉が並んでいるのですかね。
バリケードのすぐ向こうは、北朝鮮へ繋がった鉄道「京義線」のレール。

自由の橋
橋の北側を向くと、数年前に完成した北朝鮮へ向かう鉄道橋。左の鉄橋に対し、右は朝鮮戦争で破壊された橋の橋脚。

自由の橋
自由の橋
自由の橋
臨津閣
ここまでは、ソウルから電車で来られるとのことで、その駅「臨津江駅」にはセマウル号が見えたり。
団体見学である程度の知識を得ることができましたので、次は境界線にはいけずとも、ここまで個人行動で電車で来ましょうかね。

さて。
20分程の休憩後、バスに揺られて13時過ぎ。
ちょいと寂れたモーテル街に建つレストランにて昼食となります。ブッフェ形式。

臨津閣
臨津閣
臨津閣
これで後はソウルに戻ることとなります。
バスで爆睡して、15時過ぎ。中心街のロッテホテルで下車そして解散となりました。

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